Sir Sebastian, Lord Coe
ロンドンオリンピック、パラリンピックの組織委員会会長として2012年オリンピックを大成功に導いたセバスチャン コー。
モスクワ、ロサンジェルス両オリンピックで1500メートルで金メダル、800メートルで銀メダルを獲得した伝説の中距離ランナー。 現役中、12回世界記録を更新している。
1979年ごろから80年代前半、ライバルのスティーブオベットとの対決は、今でも鮮明に記憶に残る。
800メートルは、タクティックが重要な、一番難しいレースらしい。
1979年の欧州選手権大会で、セバスチャン コーは、始めの200メートルを全速力記録で突っ走り、残りレースの80%を酸欠状態で走り、どうにかゴール入りして、スティーブオベットに次ぐ3着に終わった。 コーのタクティックは、プレスはじめイギリス中から非難を浴びた。
しかし、そんな中、一人だけ、コーチだった父親は、次に走る時は、次の200メートルも始めの200メートルと同じスピードで走れるようにしようといったそうだ。
そして、最新の心脈の専門家に会うためアメリカに飛び、世界一の栄養学者を捜し求め、その道の専門家を集め、革新的なトレーニングを開始したそうだ。 もちろん、これも非難を浴びた。 しかし、結果、次々に世界記録を更新し、一時に4種目の世界記録を保持していたこともある。
この考え方は、ロンドンオリンピックの準備にも反映された。 スポーツとは直接関係の無い、その道の専門家たちも準備委員会に招き、何をすべきか、どうすれば可能にできるか、徹底的に話し合いがなされたそうだ。
また、スポーツに対する考えが変って来ている若者の意見も聞き入れながら、子どもたちにレガシーを残すことを念頭に準備したそうだ。
結果、ロンドンオリンピックは、大成功だった。
10月6日、Lord Coe のスピーチは、期待以上にすばらしかった。 ますますファンになった。
10月5日~3日にわたり、ロンドンで行われたセミナーに毎朝6時出発で車で通った。
初日のアントニーロビンズがすばらしかったのは、言うまでもない。 あのエネルギーと情熱は、まさに誰もが認める世界一のスピーカーのものだ。 そして、2日目のセバスチャンーコー、日曜日の最終スピーカーは、スコットランド経由で飛行機で到着した、ドナルド トランプ。 合計12名の世界の成功者たちによる講演は、毎朝8時~夜8時まで続き、それは充実した週末だった。
オリンピックのジムナスティックなどが行われたExcelの会場には、ヨーロッパやアフリカ、世界中から8500人が集合し、3ヶ国語に同時通訳されていた。