ランボーン川が敷地内を流れるドニングトングローブ
ゲートから長いアプローチ、
橋を渡り、今は色あせる”ピンクコッテージ”のところで、
左に曲がり、ウォールドガーデンを右に
かつて53羽の白鳥がいた湖を左に進むと、
1772年に建てられたジョン チュートがデザインした
ストロベリーヒルゴシック造りのドニングトングローブハウスがある。
とてもエレガントな建物だ。
屋敷の前のグリーンは、今では、湖の水辺ぎりぎりまで、
ゴルフの打ちっぱなし練習場になっていて、
ゴルフボールが散乱している。
ここから、気球で飛び立ったことがある。
8メートルの吹流しと7本のこいのぼりをあげたこともある。
水と棒切れが大好きなベンソン(ラブラドール)が、
白鳥に向かっていったり、湖に飛び込み、
ボードを漕ぐ人らのオールをとってしまったこともある。
8月18日(土)
何年ぶりかで訪問したドニングトングローブ
あの頃の空気とは、違っていた。
いつの、どの住人の時が、一番輝かしく
建物と調和して、幸せな時間を過ごしたのだろうって
ふと、思った。
1783年、ジェームス ペティアンドリュースから
おしゃれなボウ ブラメルが購入し、
戦後、ジョンベブからレジナルドフェローズに移り、
1991年には、四天王寺が購入し、
デーブトマスデザインのチャンピオンシップゴルフコースが、
できあがり、カントリークラブに変身した。
550エーカーの敷地の中に、
テンプルと日本庭園が加わり、
ロンドン郊外に日本文化の拠点ができた。
そして今また新しいオーナーの下に、
ドニングトングローブは、生き続けているが、
テンプルとジャパニーズガーデンのある
ウォールドガーデンのゲートには、大きな錠がかかっていた。
ゲート横の花壇は、草ぼうぼうだった。
記憶では、ゲート正面の塀の前にベンチが置いてあったはずだが、
ネトルがたくさん茂っていた。
樹木の枝が伸び放題で、ゲートのところからは、
旧大和殿は、ほとんど見えなかった。
ホテルのレセプションの若い女性は、愛想が悪く、
あまり上品とはいえない話し方だったけれど、
ガーデンゲートの鍵を貸していただけないか、聞いてみたところ、
ウォールドガーデンの中に、3つのキャビンがあり、
住人がいるので、開けることはできないと言われてしまった。
キャビン?
"Country House Rescue" というテレビ番組で、
アドバイザーのルースワトソンがそんなことを提案していたことがある。
経営難のカントリーハウスのオーナーが、
すでにある資源を利用して、最大の収入を生み出すアイデアとして。
そうであれば、大きな間違いを犯しているように思う。
地鎮祭の日のこと、
400人を招いて行われたオープニングセレモニー、
雅楽、お琴や、太鼓や剣道など、デモンストレーションの数々。
インターフェイス、仏前結婚式も。
それに、毎朝7時のお勉め。
とってもSpecial な空間だった。
想像力豊かなイギリス人デザイナーなら、
ヘリングスウェルの太子殿のように、
スピリットを引き継ぎ、うまく雰囲気をかもし出しているのかも知れないが、
見えないので、わからない。
90年代に建て増されたホテルのベッドルームの1階は、
「プラクティカル」 という言葉がぴったりの
モダンなレストランに変わっていた。
機能的で、ゴルファーたちには、ちょうど良いのかも知れないが、
エレガントなストロベリーヒルゴシックの建物には、
ひとつも似合わない。
1780年代に、ボウブラメルがしていたように、
しゃれたゲストたちを招待して、エレガントにもてなすスペースが
ドニングトングローブハウスには、一番似合っていると思う。
そんな贅沢ができる時代ではなくなっているのだろうか。。。
敷地内の建物は改築、増築され、
上品に仕上がっているものや、そうでないものや、
いろいろだった。
ドニングトンを後にして17年。
以来、私の夢は、小さくても良いから、
この地に住む日本人の心の拠り所になり、
イギリス人ともシェアできる日本文化の拠点と
空間を再び築きあげることだ。
いつか実現したい。
それにしても、53羽いた白鳥はどこに行ってしまったのだろう。
白鳥は、まっすぐに飛ぶとは限らない練習用のゴルフボールに、
身の危険を感じたのだろうか。
心がかりだったチャイニーズウォールペーパーと
ベルギーのお城から持ってきたタペエストリーは
健在だった。
ドニングトングローブを見下ろす13世紀のドニングトン城の
ゲートハウスは、今でも変わらない。